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ケンブリッジ大学におけるコロナ

ケンブリッジ大学におけるコロナ

弊社でのインターンシップを終了したセルウィン・カレッジ (Selwyn College、写真参照)日本語学科の学生であるエレナは、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)がケンブリッジ大学において彼女の世代にどのような影響を与えているかについて以下の通り考察しています。

コロナが私たちと世界とのかかわり方に影響を与えていることは否定できません。ビデオ会議やオンラインセミナーが台頭する中、絶えず存在する社会的距離のせいで今後起きる事について前向きな気持ちでいることが難しくなるかもしれません。ケンブリッジ大学日本語学科の3年生である私の学位と大学生活にも、コロナによって様々な影響がもたらされました。パンデミック時代の学生としてのこの経験は、チャンス、教育、コミュニティといった観点に注目することにより、取りまくネガティブな状況を再評価する機会になると考えます。

英国で語学を学ぶ殆どの学生にとって、学位3年目は学習言語の国で過ごす「海外での1年」となります。私も同様に、東京の立教大学で11か月間勉強するために日本に住むことになっていました。残念ながら、日本は在留資格に関係なく,日本のパスポートを持たない者に対して国境を完全に閉ざした国の一つでした。学部は学生に安全かつ適切な代案を提供するために絶え間なく動いてくれましたが、この状況をうまく切り抜けるのは間違いなく難事業でした。語学に関しては私の学部は、秋田県の国際教養大学による文化と会話のオンラインコースを私たちにもたらすことができ、そこで私は他の留学生や日本人の学生に出会いました。私たちは、異なる文化が自分たちの生活や性格にどう異なった影響を及ぼすかといったトピックについてディスカッションしましたが、コロナだけは私たちにまったく同じ様式で適応することを強要したという結論にいつも至りました。私の研究では文化の違いに注目することが求められますが、ウイルスに対する対応は多国間で類似しており、教育機関が自国の学生だけでなく海外の学生にも結束できる環境を提供していることに勇気づけられます。今年の残された期間に、私は京都の語学学校と立教大学の講義への出席を予定していますが、これもその一例でしょう。

こうした結束は他のタイプのコミュニティにも当てはまるものですが、私の場合はケンブリッジ大学セルウィン・カレッジにおいて最も顕著です。通常は年間を通して、学内に居を構えている全ての教師、学生、職員の活動で賑わうものですが、ロックダウンによって皆が最終学期中は外出しないことが求められました。全ての講義、セミナー、イベント、試験さえもオンラインに移行しました。授業は順調に進みましたが、コミュニティという感覚を再現するのはもっと難しいことでした。セルウィンでは多くのイベントやさまざまなソサエティがあり、学生は学問以外に活動の場を広げることができます。例えば、言語ソサエティー(Linguistics Society)は夕食会を頻繁に開催したり、異なる言語関連の分野で活躍する人を招いて講演会をしたりします。今回は学生が先頭に立って、解決策や代替案を見つけ出さなくてはなりませんでした。家にいながらにして、どうネットワークを広げ将来の計画に関する決定を下していくのか? これからより重要になるスキルは何なのか? 何よりも重要なこととして、そうしたスキルを磨く機会をどうやって見つけるのか? オンラインによるインターシップこそが非常に役に立つ答えだったのでした。どうやって様々な業界がコロナに取り組んだかについてインターンとして学ぶことは、私たちの未来に何が起こるかを知る第一歩となります。

私自身は、9月にGideon Franklin 社でインターンシップを受けることができ、M&Aにおける多くのプロセスについて学ぶ一方で、様々な専門家たちの在宅での仕事の取組み方について知ることができました。更にそうした専門家から彼らがどうやってキャリアを築いたのかを聞くことにより、目標を達成するために選択できる道が多様であること、また日本語の学位を様々な分野の仕事にどうやって役立たせるかについて学ぶことができました。インターンシップを終えるまでには、ビジネスEメールの作法から東京の様々な株式市場についての知識まで、新たなスキルと知識を習得したという手ごたえがありました。自信がつきましたし、パンデミックの最中でもこのような機会は得られるのだと実感し、学びつつ適応していく術を教えられたと思います。

私たちはあくまでも部外者としてフィクションや学術論文でこの種の危機について読んだり、誰かが原因や考え抜かれた議論を用いて状況を説明してくれることには慣れています。アルベール・カミュの「ペスト」の販売数がコロナ禍において増加しているのは、私たちを取り巻く世界を理解するために私たちが文学を拠所としていることを示唆するものです。こうした物語が将来の読者にどのように受け止められるかは、私たちが今何を成し得るかにかかっているということをより一層認識させてくれます。このように、今後どのような優れた文学的比喩が生まれるのであれ、日本文学における桜になぞられるのではないかと思います。セルウィン・カレッジの特別研究員であるVicky Young博士の言葉を引用するのであれば、「これら花のはかなさは、その複雑な美しさと無常さゆえに、人生を象徴するものであると多くの人が考える」ということになるでしょう。今しばらくは、不確実性が私たちを不気味に覆うに違いないのですが、一方で今回の出来事は、チャンスを捉えることと、スクリーン越しではあっても既存のあるいは今後も作り続けるであろう繋がりの大切さを認識する良い機会であると思います。

 

著者: エレナ・サントス・アレマン

 

写真は校長によって撮影されたセルウィン・カレッジ