stop-watch mail angle-double-down angle-double-up angle-double-right angle-double-left chevron-thin-down chevron-thin-up twitter-with-circle linkedin-with-circle facebook-with-circle

大学で語学を学ぶことの重要性

大学で語学を学ぶことの重要性

ケンブリッジ大学日本語学科に在籍中のHolly Webbは、弊社でのインターンシップを終え、大学で言語を学び学位を取得することの重要性について、特に文化の理解という観点に注目しながら考察し、本稿にまとめました。

英国の大学で語学、それも特に日本語のような珍しい部類の言語を勉強していると誰かに話すと、だいたい次のような反応が返ってきます。「オンラインなら無料でできることを、なぜわざわざ大学に行ってお金を使ってまで勉強するの?」とか、あるいはキャリア志向の家庭や友人であれば、言語を勉強するだけでいったいどんな仕事に就けるのかと首を傾げられるか、または語学教師、翻訳家、通訳者になりたいから選択したに違いないと決めてかかります。こういった決めつけに根拠がないとは言い切れませんが、これは語学の学位が単なる語彙と文法の習得の末に与えられるもので、就職する際につぶしの効く有利なスキルとはなり得ないという誤解に基づいた意見です。実際にははるかにそれを上回るものが得られるのです。

無料またはかなり低価格で、オンラインで言語を学べる優れたウエブサイトが沢山あることは事実です。ならば、わざわざ学位を取る必要性はどこにあるのでしょうか? 大学の語学のコースは学ぶ機関によって異なりますが、ほとんどの場合、その言語特有の言語学的構造にとどまらず、広く深く文化を理解することを教わります。Edward T. Hallの唱えたCultural Iceberg(文化の氷山)によると、多くの人が休暇に外国へ行ったりドキュメンタリーを見たりして経験する文化、すなわち食べ物やファッション、音楽、言語といったものですが、それらはいわゆる「表面文化」と呼ばれるものです。オンラインコースでは、外国の表面文化のさわりの部分は垣間見ることが出来るかもしれませんが、通常そこまでです。それ以外の90%以上に当たる部分が「深層文化」、すなわちボディランゲージ、会話様式、マナーやエチケットの概念、美の基準、時間の概念などといったことです。大学で語学を学ぶというのは、その国を訪れ、その国に一年間住んでその国の言語にどっぷりと浸かる前に、まず徹底的に勉強することによって「深層文化」を理解するための鍵を手に入れるということなのです。

もちろん独力で言語を学ぶことに何の問題もありません。日本語は、 実践や経験を伴わずに学ぶ人やアニメファンに非常に人気のある言語で、十分に専念すればそこそこ流暢に話せるようになることは可能です。しかし、オンライン学習者のほとん

どは、標準的な日本語会話がぎりぎりどうにかこなせる程度の学習をするだけであり、相手がよりカジュアルな調子で話したりビジネスに関する話をすると途方に暮れることになります。またオンラインを利用する場合、「間違った」文法を学んでしまうリスクもあります。大学で学ぶ前に少しは齧っておこうと学んだ日本語学科の学生のほとんどは、事前に培った理解の多くが正しいものではなく、結果として彼らの日本語は初めのうち極めて怪しげで不自然でした。文法を習得し、標準的な日本語だけでなく様々な顔を持つ日本語を学ぼうと思っても、日本について学んだり長期間日本に住んでみなければ、自分自身の文化の境界をこえた理解には至らないでしょう。

学位レベルで日本語を勉強すると、ビジネスでの日本語の使い方、友達とのカジュアルな会話の仕方、礼儀正しさ、学術論文の書き方などを学びます。これらはどれも全く異なるスキルを必要とします。こういったさまざまな様式の日本語は、日本に行かないうちから日本文化を正しく理解するのに不可欠な文化的感性と極めて密接な関係があります。一年間の留学で、その文化にどっぷりと浸る経験をすることで、自分自身の文化から切り離されることが可能になります。つまり、外側にいる自分自身の文化を視点とするのはなく、内側から他国の文化を理解することが出来るようになります。具体例を挙げましょう。

例えば、あなたが日本の会社と英国の会社とのミーティングに出席しているとします。英国では、ミーティングは通常アイデアを検討・議論し、「全体像」を発展させ、チーム内に対立があればそれを取り除く努力がなされるので、出席者はミーティングの中で他人と違う意見を出すことが期待されます。日本では、ミーティングの目的はまったく違うことがあります。つまり出席者はミーティングで話すことが何であれ、それを事前に他の出席者と打ち合わせ、ミーティング「の前に」コンセンサスを得ることが通例だということがあるのです。もしも出席者がこの通例を知らずにミーティングに臨んだ場合、両者は互いに相手側のまとまりが悪い、あるいは的外れのポイントに焦点を当てているとフラストレーションを募らせることになりかねません。言い換えれば、同じ言語で同じことについて話していても、考えの基点が二つの異なる文化にある場合、まったく違うことを考えていることになってしまう場合もあり、誤解が生まれます。これがもし語学の学位を取得していたら、もっと容易に自身の文化から脱け出して、あたかもその国の文化の中で育ったかのように物事を考えることが出来るかもしれません。そうすれば、各サイドの出席者がどんなアプローチをしようとしているか両サイドに助言することができ、誤解が生じるのを防ぐことが出来ます。

私は幸運なことに、2021年9月にGideon Franklin Ltdで数週間のインターンを経験することができました。ギディオンは、顧客にとってのM&A後の統合(PMI)の重要性を力説していました。案件が紙の上では完璧に見えても、PMIが適切に行われないと最終関門で失敗に終わることもあります。日本企業が海外でM&Aを行う場合、国境を越えた文化理解がPMIで重視すべき点となります。コンサルタント会社や海外子会社を多く有する企業にとって、日本と海外の両方を真に理解かつ評価することができ、両者の架け橋となれるチームメンバーがいることは大きな利点であり、それによって関係者すべてがその関係から最大限の恩恵を被ることができるようになります。

私は、M&Aについて殆ど知らずにGideon Franklin Ltdでのインターンに来ましたが、何故この会社が日本語学生のインターンシップにこれほどの関心があったのかすぐにわかりました。つまり日本語学科の学生は、日本について学んだことのない学生よりも日本企業とのかかわり方を理解できる下地が整っているからなのです。もちろんそれはM&Aに限ったことではありません。国境を越えた関係の対応に関わる会社であればどんな会社でも、語学生の専門知識は役に立つでしょう。文化を学ぶ学生である語学生は、自国でも多様なコミュニティ(低所得家庭、障碍者コミュニティ、少数民族、難民、リハビリセンター、など枚挙にいとまがない)のニーズに敏感であると言えるのではないでしょうか。多くの語学生が語学教師、翻訳家、通訳者となり、そのような役割を彼らの持つもっと多くの役割の中の一部としてこなしていくのではないかと思いますが、語学の学位などで一体何ができるのかと思っているすべての人に言いたいのは、語学はリミットなのではなく、実際にその可能性はほぼ無限大にあるということです。

 

        Holly Webb (右) とインターン同期の Emma Betts (エジンバラ大学日本語学科学生)